2011年7月28日木曜日

7月28日(木)ブログ

秋田美人がいま、21世紀に問うものとは?

「秋田美人」(昭和42年発行)
 秋田美人にまつわる様々なエピソード、伝説、迷信、起源、色白な肌の秘密・・・等は、ネット上で今も物議を醸しているところです。その昔、佐竹の殿様が茨城県の水戸から左遷させられた際に、悔し紛れに水戸の美女を全部連れて行っちゃった、だから水戸は今ではあんな・・・(それじゃ水戸の女性に失礼でしょう)とか、白系ロシアの血が混じっているから色白で、とか、とにかく「謎」に包まれています。が、44年も前に発行された「秋田美人」(写真左)は、いま読んでも、その内容がいまネットでささやかれていることと、ほぼ一緒。つまり昔っから現代にいたるまで秋田美人は「謎」に包まれっぱなしってことです。どうして「秋田美人」なのか?なぜ東北六県の中で、秋田なのか?なぜ山形や青森じゃないの?うちの母親が昭和30年代に土崎で働いていたころ、京都弁を話すお婆ちゃんが近所に住んでいたそうです。北前船によって京文化が秋田に届けられているから、そんな御公家言葉のおばあさまが秋田に住んでいたっておかしくはないです。大曲などは商人の町で栄え、京都の女性を呼んで大宴会を催していたらしいです。そういった合コン文化が、秋田は盛んだった?それが青森、山形との違いだったの?

名著「秋田美人の謎」(昭和59年発行)
上記の「秋田美人」の巻末に、当時の秋田県民会館長、石井彪氏がこう記しています。「色白とか肌がいいというのは美人の一要素だが内容が空疎では人形と同じである」。はい、出ました。私たちは「秋田美女」とは呼んで来なかったですよね。あくまで「美人」です。アースボイスプロジェクト代表社員、榎田竜路氏の言葉を引用すれば、

“美女”は退化する “美人”は進化する

美女の「美」は若さやメイクなどが手伝ってのもので、美人の「美」はもっと内包的な、内なるもの。心持ひとつでいつまでも輝ける美ってこと、だから進化するのですね。

さて、謎多き秋田美人、新野直吉先生の上記の本でも「秋田美人は、日本海を夢の架け橋として結ばれた世界一の美人種との混血で生まれたのです」と紹介されていますが(この場合の“世界一の美人種”というのはコーカサス人種ですが)“日本海を夢の架け橋として”多くの文化が北前船やら外国の船やらで秋田に来ることが多かったわけです。そしてその交流の中から秋田美人は生まれた・・・コーカサス人種の美しさだけではなく、京都の文化や世界中の様々なものが合わさって、秋田美人は誕生しているとも考えられるわけです。
「なんだ?秋田って意外に国際都市だったんでねえが?」はい、出ました。その通り、秋田はかつては表日本だったんです。その秋田から、秋田美人が先頭に立って、いままた世界に向けて飛び出してゆくのが、この21世紀なのではなかろうか?

と、強引にまとめて、誰か一緒に「秋田美人21世紀VERSION」を作る人いませんか?44年前の本にリスペクトしながら、現代の視点で現代の方法で「秋田美人」を発信する。そして本は予約注文制で、エンドユーザーに必ず「秋田美人」本人が御届けにあがります!
「秋田美人が届けるって言ってたのに、届けに来たのは美人じゃなかった!」というクレームが今から予測できますが、対応マニュアルはこちら→「秋田美女が届けるって、誰が言いましたか?」


PS:新野先生の「秋田美人の謎」は現在文庫本で入手可能。

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