2011年7月15日金曜日

東海林太郎さんをご存じ?

7月15日(金)のブログは秋田出身の偉人、
東海林太郎さん について・・・

1898(明治31)年に生まれ、1972(昭和47)年に亡くなった太郎さんは、秋田市生まれ。私の世代では子供の時分に、NHK「紅白歌合戦」において、燕尾服に直立不動の姿勢で歌う姿がおぼろげながら記憶に残っています。この人と藤山一郎さんでしょうか、古き良き時代を象徴した歌手といえば。「赤城の子守歌」とかヒット曲は多数あれど、私の世代ではほとんどが記憶無し、よっぽどの太郎さんマニアじゃない限り。某国営放送で仕事していたとき、歌舞伎の「新版歌祭文 野崎村」を放送する際に「野崎小唄」を使用したぐらいかな?私と太郎さんの接点というと・・・。とにかく秋田の出身だということさえ知らなかったですからね、親も教えてくれなかったし。いま秋田市内の千秋公園入口あたりに記念のモニュメント?がありますが、はっきり言うと、わかりにくい。そこにあるってことが。生涯奢ることなくひたむきに歌道を追求した太郎さんらしく、記念のモニュメントもやや控えめに・・・って事でしょうか。
上の写真は、実直そうな太郎さんの彫像が子供時分の遊び場であったであろう、千秋公園を見上げている感じです。それはそれとして心象的にはいいのですが、せっかく作ったんだから、多くの人たちに見てもらいたいってのがありますよね。左のような水が美しく流れる素敵なモニュメントですよ。太郎さんのお顔に触れようと近づけば「赤城の子守歌」「野崎小唄」などがセンサーによってスイッチONになって流れてきます。この様子を撮影してYou Tubeに投稿してる方もおられるんです。隠れた太郎さんマニアは確実にいるのですね。
ですが何度も言うように千秋公園の入り口で私たちを迎えてくれる秋田県民会館(そろそろ久保田城化してもいいんじゃないか?というぐらいの築年数を誇る会館)のその真裏に太郎さんモニュメントは位置しています。これじゃ県民会館に北島三郎コンサートを聴きに来たお客さんも、下手すりゃサブちゃん自身もその存在に気づかずに終わるかも。大先輩であるはずなのに・・・「どうして教えてくれねえんだ?恩義のある東海林先生のモニュメントがあるってぇ事を!」と北島三郎さんを怒らせてしまった日にゃあ・・・(もちろんご存じとは思いますが)。私が言いたいのは、せっかっく作ったんだから、も少しみんなに見せましょうよ。せっかく秋田出身でしかも全国にその名を知られた人ですからもっともっと誇りにして、たとえば「東海林太郎記念音楽祭」とか年1回の開催で結構ですからやりましょうよ。歌のジャンルは東海林節にこだわらず、パンク系でも歌謡曲でも、なんでもOK。ただし出場規定として「燕尾服着用のこと」。これでもうビジュアル系ロックバンドになれますし。秋田が自慢できることはまだまだあります。せっかく、ここに、こういうイイものがあるんだから。東海林太郎なんて巨大な存在を誇らしげに秋田の子供たちが語る、そんな未来を創造しましょう。

追伸・・・桜田淳子さんについては、秋田では「禁句」なんですか?誰も語ろうとしないんですけど・・・


東海林太郎記念館はこちらへアクセス!


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