2011年8月11日木曜日

8月11日(木)blog

 
akita 歴史ロマン その壱  
            払田の柵  

大仙市にある国指定史跡「払田の柵(ほったのさく)」跡。今でこそ、貴重な史跡として県内外の研究者の方々がいろいろ調査されていますが、僕らが子供のころは、ここはピクニックする場所でした。もっと生々しく言うと「鍋っこ遠足」の広場でした。実は昭和6年にすでに国指定史跡となっているので、あれ?やばかったんじゃ・・・?芋の子汁とかこぼしまくりでしたが・・・。
ここは西暦801年ころ、平安時代に作られたそうで、大仙市商工会さんのブログを引用させていただくと、「強固な作りの城に対し、簡易な作りだったのが柵」だそうです。大仙市のブログ、わかりやすくていいです、難しい言葉が並んでなくって。いかにも庶民の目線で。東北最大級の古代城柵と呼ばれたこの払田の柵跡は、出羽の国の政治や軍事を司った砦、要塞。その広さは東京ドーム8個分の面積だそうです。ところでなぜ日本で何か広大さを示す時、必ず東京ドーム何個分て引用されるの?結局アバウトにしかわからないのに・・・。ちなみに「柵」という地名がつくと、だいたい要塞や陣屋があった場所ってなりますね。横手には「沼の柵」跡があり、ここも後三年の役(という合戦)に関係しています。話はあちゃこちゃ飛びますが、この広大な敷地にかつてはとても長い柵が張り巡らされていたのでしょう。しかしそれだけの規模を誇りながら、文献に記載が無いらしいのです。出羽の国の人々よ、何をしていたのだ?なんで何も書き残さないの?というよりも紛失したんでしょうね。だって秋田の人たちは結構書き残すのが大好きみたいです、古文書いっぱい残っているし(ほとんどが借金の帳簿ですけどね)。つまりここも「謎」の場所なのです。謎にはロマンが溢れています。「謎を謎として、ロマンとして」高々と歌いあげればいいのだと思います、秋田県は。はっきりいろいろわかっちゃって、却ってつまんなくなった、って例もありますからね、「実は柵ではなく、ただの牧場だったことが判明した」なんてことになったらねえ。

 
最近の調査によると、このあたりは日本でももっとも早く武家社会が成立していたのでは?云々。                  
それはそれで凄い話ですね、ちょっと誇りたくなりませんか?だって武家社会ですよ、お侍さんがいたってことですよ、日本でももっとも早い時期に、この秋田に。御百姓さんしかいないと思われていた時代に。これは嬉しいかな?いや、侍って結構エラそうにして平気で庶民を斬ったりするんでしょ?やっぱり嫌ですかね、僕は御百姓さんに一票投じますかね。うちの母も沼の柵のそばの農家の娘だし、自分にもそのDNAは脈々と受け継がれてるし。左の写真は柵のすぐそばにある通称「曲がり家」。トラディショナルな東北農家の見本のような家です。農耕用の家畜(馬や牛)と人間が共存できる仕組みになっています。
「曲がり家」が登場する小説といえば柳田國男の「遠野物語」が有名ですが、秋田にもあの手の話はいっぱいあったはずなのに、なぜか民話としてなかなか残っていないんでしょうか?いや、あるのかも知れませんが、さっぱり聞こえてこないんですね。そこらへんも岩手の方々との違いでしょうか?(宣伝というか、物語化して広め、町興しへつなげる行動力?)この払田の柵は秋田が誇る史跡なのです。もっともっと日本に対し、世界に対し、誇って行きましょう。それは、秋田の古のロマンであり、秋田県がいかに古くからこの地球上に存在していたか?という証でもありますからね。「秋田ロマン紀行 温泉付き」で、世界の皆様をお持てなしです。左の写真、「柵の湯」でゆったりとくつろいで、歴史ロマンに思いをはせてみてはいかがでしょうか?


PS:興味をお持ちの方はこちらへ・・・

払田柵総合案内所         電話0187-69-2397

秋田県埋蔵文化財センター    電話0187-69-3331




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