2011年7月29日金曜日

7月末は夏祭りイベントがもりだくさん!

皆様こんちは。EVP秋田営業所の佐藤です。

世間の子供たちは、もう夏休みに突入しましたね。
近所の子は、近くの公園で毎朝ラジオ体操をしているそうです。
私もハンコを貰いに行きたいのですが、如何せん眠たいのと
不審者扱いされたら!?という恐怖で実現には至っていません。

さて、子供たちが夏休みに入った事もあってか
各市町村では続々と夏祭りイベントが開催されています。


最近ですね、ご当地グルメに関してのお話をよく耳にしていまして
ご当地グルメ(特に大曲市出身の先輩オススメの納豆汁)への興味が沸々と湧いております。
そんなご当地グルメが今週末の30,31日に由利本荘市の本荘公園に終結します!
秋田県内外から集まるご当地グルメを食べて厳しい夏を乗り越えましょう。
個人的には「美郷まんま」も気になります。ぶっかけ飯のような形でしょうか・・


ここ本荘では、29日(金)~31日(日)までの三日間、イベント尽くしとなっています。
そして更に、30,31日のイベントには由利本荘市出身の「加藤夏希」さんが参加されます!
30日の夜には花火大会もあり、朝から夜まで丸一日楽しめる内容になっているようです。


また、30日には「男鹿ナマハゲロックフェスティバル vol.2」も開催されます。
男鹿市船川港を舞台に、著名な豪華アーティストが12組も大集合します!
誰もが知っている、そんなアーティストが間近で見られるチャンスです。
聴いて、踊って、食べて飲んで・・・
港に作られた特設会場で、これもまた丸一日楽しめる内容です。
当営業所からは1名が参加予定で(完全にプライベートですが)、土産話に期待しています。

最後にひとつ
私的オススメとして「きさかた『港』海の幸まつり」を挙げさせて下さい。
これは、30日に象潟道の駅「ねむの丘」前で開催されるまつりで
象潟で獲れる「天然カキ」をメインに、地元漁港で水揚げされた魚介類を贅沢に
生でも、調理しても、味わえる場となっております。
実は象潟の天然カキは、知る人ぞ知る夏の味覚と言われています。
首都圏からいらっしゃるお客さんも多く、
夏の象潟に来ていただいたら是非とも食して頂きたい旬の食材です。

また、会場の「ねむの丘」4階には日本海が見渡せる展望温泉があり
食後はゆったりと温泉に浸かるのも良いかもしれません。


なんと、どこもかしこもイベントだらけな週末で
行きたいところを絞るほうが難しいです。
秋田の暑くて涼しい夏はまだまだ続き、
お祭りやイベントもまだまだ始まったばかりです。
夏の楽しみは尽きません。

2011年7月28日木曜日

7月28日(木)ブログ

秋田美人がいま、21世紀に問うものとは?

「秋田美人」(昭和42年発行)
 秋田美人にまつわる様々なエピソード、伝説、迷信、起源、色白な肌の秘密・・・等は、ネット上で今も物議を醸しているところです。その昔、佐竹の殿様が茨城県の水戸から左遷させられた際に、悔し紛れに水戸の美女を全部連れて行っちゃった、だから水戸は今ではあんな・・・(それじゃ水戸の女性に失礼でしょう)とか、白系ロシアの血が混じっているから色白で、とか、とにかく「謎」に包まれています。が、44年も前に発行された「秋田美人」(写真左)は、いま読んでも、その内容がいまネットでささやかれていることと、ほぼ一緒。つまり昔っから現代にいたるまで秋田美人は「謎」に包まれっぱなしってことです。どうして「秋田美人」なのか?なぜ東北六県の中で、秋田なのか?なぜ山形や青森じゃないの?うちの母親が昭和30年代に土崎で働いていたころ、京都弁を話すお婆ちゃんが近所に住んでいたそうです。北前船によって京文化が秋田に届けられているから、そんな御公家言葉のおばあさまが秋田に住んでいたっておかしくはないです。大曲などは商人の町で栄え、京都の女性を呼んで大宴会を催していたらしいです。そういった合コン文化が、秋田は盛んだった?それが青森、山形との違いだったの?

名著「秋田美人の謎」(昭和59年発行)
上記の「秋田美人」の巻末に、当時の秋田県民会館長、石井彪氏がこう記しています。「色白とか肌がいいというのは美人の一要素だが内容が空疎では人形と同じである」。はい、出ました。私たちは「秋田美女」とは呼んで来なかったですよね。あくまで「美人」です。アースボイスプロジェクト代表社員、榎田竜路氏の言葉を引用すれば、

“美女”は退化する “美人”は進化する

美女の「美」は若さやメイクなどが手伝ってのもので、美人の「美」はもっと内包的な、内なるもの。心持ひとつでいつまでも輝ける美ってこと、だから進化するのですね。

さて、謎多き秋田美人、新野直吉先生の上記の本でも「秋田美人は、日本海を夢の架け橋として結ばれた世界一の美人種との混血で生まれたのです」と紹介されていますが(この場合の“世界一の美人種”というのはコーカサス人種ですが)“日本海を夢の架け橋として”多くの文化が北前船やら外国の船やらで秋田に来ることが多かったわけです。そしてその交流の中から秋田美人は生まれた・・・コーカサス人種の美しさだけではなく、京都の文化や世界中の様々なものが合わさって、秋田美人は誕生しているとも考えられるわけです。
「なんだ?秋田って意外に国際都市だったんでねえが?」はい、出ました。その通り、秋田はかつては表日本だったんです。その秋田から、秋田美人が先頭に立って、いままた世界に向けて飛び出してゆくのが、この21世紀なのではなかろうか?

と、強引にまとめて、誰か一緒に「秋田美人21世紀VERSION」を作る人いませんか?44年前の本にリスペクトしながら、現代の視点で現代の方法で「秋田美人」を発信する。そして本は予約注文制で、エンドユーザーに必ず「秋田美人」本人が御届けにあがります!
「秋田美人が届けるって言ってたのに、届けに来たのは美人じゃなかった!」というクレームが今から予測できますが、対応マニュアルはこちら→「秋田美女が届けるって、誰が言いましたか?」


PS:新野先生の「秋田美人の謎」は現在文庫本で入手可能。

2011年7月27日水曜日

日本最大級の吹き抜け木造架構「関善」

みなさま、こんにちは。正木です。
先日、鹿角市の花輪に行ってきました。
色々なスポットを回りましたが、その中でも心を打たれたのが
 関 善 
ここまで気持ちが惹かれる建物に出会ったのは正直初めてです。



かつての造り酒屋「旧関善酒店」。
安政3年(1856年)に創業され、花輪の町を取り仕切る財産家「大っき方」でした。
明治38年5月、日露戦争日本海海戦の日の
花輪大火によって類焼し、同年に再建されました。

木造一部3階建て、間口27m、奥行き20mの3層からなる桁組みで、
吹き抜きの大屋根は10.5mに達します。
とにかく、この吹き抜きが見事で。。。


この桁組みは釘を一本も使っていないそうです。
昔の職人さんの技ですね。
とても頑丈で、東日本大震災の大きな揺れに
びくともしなかったそうです!

実はこの関善、県道拡張などの事情から曳家による保存が図られることになり、
平成16年4月から工事が始まり、4ヶ月後の8月に完了したそうです。
そして、平成18年8月3日に有形文化財として登録されました。


関善の入り口に近づくと、ネコちゃんがお出迎えをしてくれました!
とても人懐っこいネコちゃんで、広い関善の中をずーっと案内をしてくれました。
夢中になって写真を撮っていると「早くこいっ!」と
言わんばかりの表情で、こちらに近づいてきます。




展示品の数々


綺麗なランプ


戦争時に使われていたもの


昔のおもちゃ


蔵はライブ会場になっていました。

ここで、真荷舟ライブができたら最高だなと思いました。

関善に一歩入ると、明治時代にタイムスリップしたような感覚になります。
昔ながらのものを大切にし、後世に伝える心が伝わってくるようでした。



2011年7月26日火曜日

ゼロダテが楽しそうです

こんにちは。EVP秋田の佐藤です。
先日、秋田市で行われたゼロダテの説明会に参加してきました。
ゼロダテは、大館市で毎年夏に行われる展覧会に向けて組織されたアートプロジェクトです。

大館と東京に拠点を置き、秋田のアーティストが東京で情報発信できる機会を与えたり
ネットワークを広げる活動も行っているそうです。


お話を聞いていて魅力に思ったのは

「アート!アート!なゴリ押しをしていない」

「とにかく楽しくて魅力的なことを常に探している」

「アートと社会の繋ぎ手を担っている」

そんな人たちの集まりなんだな、と感じられたことです。
同時に、これまでの活動や参加されたアーティストの方々もとても素敵だったのですが、
ここで私がゴリゴリ押したら台無しなのでやめておきます。

2007年から始まった「ゼロダテ/大館展」は今年で5年目とのこと。
5年目の今年は大館市の商店街一帯を大きな展覧会場として利用するという新しい試み。
商店街の一部となった美術作品から、作家は、市民は、何を感じるのでしょうか。


今年の「ゼロダテ」ポスターです。
(掲載のお許しを頂きました、ゼロダテ石山様ありがとうございます)

上記以外にも

誰もが作品を出品できる「ゼロ展2011」 7/31まで募集!
届いた作品は全て出展されると聞いて驚きました。

大規模なライブペインティング
詳しくは公式ホームページで。

大館についての講演会
劇作家で大学教授の平田オリザ氏より、大館についてのお話

ポスターにもなっている温泉での音楽フェス
赤湯に浸かりながらコンサート、贅沢なのに格安です。


他にもまだまだあるのですが書ききれません。
どれもこれも、楽しみなイベントが盛りだくさんです。


「ゼロダテ」ホームページ
詳しくはコチラ


私は、アートや芸術について明るくありませんが、楽しいことは大好きです。
きっと、私のような人でも楽しめるように
ゼロダテの皆さんが色々と画策してくれているに違いありません。

大館市民も、アーティストも、大館の外から来た人たちも
きっと誰もが楽しめる。「ゼロダテ」は、そんなイベントなんだと思います。


2011年7月25日月曜日

7月25日(月)本格真夏BLOG

坊っちゃん、嬢ちゃん、よっといで!~
7・23 大仙市大曲駅前 土屋館わいわい広場

大仙市の大曲駅前で毎月第4土曜日開催の「土屋館わいわい広場」。日本全国、どこの地方でも開かれている、地域お楽しみイベントです。「土屋館」と書いて「どやだて」と読みます。これは昔の駅前の呼び名、舟運で栄えたかつての大曲を象徴したネーミングです。僕が幼いころには陣屋の建物が残っていたりしたんですが、今はすっかり昔のものは取り壊されました、もったいないですね。かつてのにぎわいはもちろん取り戻せないけど、未来の街のために、今やっておかないと本当に廃墟になっちまいますからね。大曲駅前、花火通り商店街の土屋館衆が力を注いで開催中ということです。この勢いがおよそ一ヶ月後の大曲の花火まで持続できますように!夏本番ということもあり、今回は大曲名物「納豆汁」はキンキンに「冷やし」ての提供で、「納豆汁らーめん(通称ジルラー)」ファンのおばちゃんに「今日はねえのが?ジルラー」と残念がられたりもしたけれど、季節ごとの多種多様なアイテムをそろえ、打ちだす!そういう姿勢も必要だと思います。街の子供たちのためにちびっこわいわいプールが設けられたり、かぶと虫の販売、被災地応援のための福島産の桃が販売されたりと、盛沢山なイベントでした。

 そして今回は秋田県立大学の皆さんのご協力も仰いで、「ダイセンクエスト3」という地域コミュニティーラジオ(FM?)で、わいわい広場の情報を発信しました。地元の子供たちがリポーターとなって、土屋館の各お店を訪ねてまわり、情報を仕入れてきて、DJのお兄さん、お姉さんに報告をする。僕らも冷やし納豆汁をお客さんにふるまいながらそのラジオを聞いておりましたが、大学生たちの楽しそうなおしゃべり、屈託のない明るい雰囲気が嬉しかったですよ!秋田に、県内にまだまだ笑顔の素敵な大学生がいるってのは本当に、ホッとします(まあ就職の事とか考えたらいろいろ大変だと思いますが…)。

夏と言えばこれこれ。竹を並べて水路にしてそこを水が流れて、これが始った途端、坊っちゃん嬢ちゃんが「!」という具合にすぐに水路の両脇にスタンバイ。「出番だ!」てな感じで、そう、流しそうめんです。お爺さんお婆さんがお世話になってる老人施設などでも、指先の運動としてとても重宝がられる行事のひとつですが、流れるそうめんを箸で捕まえるのは本当に難しい!おかげで富士急ハイランドのジェットコースター並みの水路からそうめんが地面に落ちる落ちる!あ~あ、もったいない!例えばこんな時に、箸使いの名人、もしくは流しそうめんの達人、仙人みたいなおじいちゃんが来て、いろいろ子供たちにレクチャーしてくれたらいいのに(笑)

今回いろんな事を思いました。それはやはり、この子たちの未来について。それが一番かな?人も少なくなって、かつてのにぎわいも無くなって、「どうせ誰も集まらねべへ?」と言っている方々を尻目に、なんでこういったイベントをやるのかということなんです。とても重要な事です。
僕たちの街には確かに「花火」があります。全国から大勢の方が来てくださいます。「日本一の花火があるだけで羨ましいですよ」とよく言われます。ですが、その花火の時だけ「市民一丸となって」ではなくて、普段のこういう、なんでもない週末?普段、日常?ここできっちりとみんなが結束してなきゃいけないのではないですか?みんながバラバラではなくて、団結することでその姿勢を未来につないで行きたいですね。それを子供たちに受け継ぐ事ができたら・・・いいなあ。
真夏の餅つきにも子供たちは参加して、アイスクリームをトッピングして食べていました。そもそも餅というのは、「あんよ」が出来たら(歩けるようになったら)大きな餅を背中に背負って歩かねばならないという、この地方の子供たち独特の最初の試練、その主役が餅。子供にとってはまさに「重荷」だったんです。重い餅を背負いながら、泣きじゃくりながらも前に進んで歩いて行くか、もう嫌だと放りだすか?未来の土屋館衆に期待しましょう!
PS:秋田だけじゃないかも知れないですね、お餅を担ぐ習慣は。も少し調べてみます。もしかして、「全国子供餅担ぎ大会」が大仙市で開催出来るかも・・・。