2011年12月5日月曜日

AKITA MEDIA FESTIVAL!!

お久しぶりです。石川です。
ついに師走ですね。1年はとても早いです・・・。

さてさて、駆け足の師走の終わりにイベントが開催されます!

↑こちらをクリック

秋田の魅力、美を共有し合いませんか?
映画、音楽、写真・・・様々なメディアを通して、秋田の魅力に迫ります!

12/22〜24
秋田拠点センターアルヴェにて開催!

ホームページにて、イベントの詳細、CMなどが覗けます。
こちらのブログでもどんどんアップしていこうと思いますのでお楽しみに!

2011年11月15日火曜日

秋田の紅葉

お久しぶりです。石川です。

1ヶ月ぶりとなってしまいました・・・><;

この1ヶ月、様々な場所で紅葉が色付き、秋田の秋を楽しませていただきましたが、
今日ついに、雪が降ってきましたね・・・!
冬の始まりです。

さてさて、冬が始まったときに季節外れな紅葉の写真をあげていきます(笑)
紅葉スポット以外の、毎日眺めるような景色がメインです。

こちらは秋田市内の紅葉。
銀杏並木で床一面黄色の絨毯。
見上げればまぶしいほどの黄色。

こちらは横手市内の紅葉
こちらは赤く色付いています。
青空と赤い紅葉のグラデーションが、冬の訪れを感じさせません。

こちらは紅葉スポット、秋田市の岨谷峡です。
きれいな川と様々なグラデーションの紅葉、
清水がたくさんある秋田県は、こういった水と紅葉の素敵な組み合わせが多いですね!




ちなみにこの写真達、全部11月に入ってから撮った物なんです・・・。
全て半月以内!
紅葉が本格的になってきたなぁー、なんて思ってたらいつの間にか雪が・・・!


次にアップする頃には白銀の世界になっているのでしょうか・・・!?


2011年10月11日火曜日

秋田の水シリーズ〜法体の滝〜

こんにちは、石川です。

日曜日、由利本荘の鳥海に有ります「法体の滝」に行って参りました。

 こちらでも紅葉が始まっています!



滝を上から撮ってみました。

日本の滝100選にも選ばれているそうです。

さすがは100選に選ばれた水!
水の色が違いました!
く透き通った色をしており、眺めていると「飲みたい!」と強く思える水でした。


滝の周りには高原や、様々な自然があふれており、「マイナスイオン」を感じます!
キャンプを楽しむ人の姿もたくさん居ました。

紅葉が始まり、黄色をいっぺんに楽しめるこの時期、
私は秋が大好きです^-^

2011年9月30日金曜日

秋の六郷

お久しぶりです。
更新遅くなってしまい、すみません。
石川です。


昨日美郷町の六郷の清水たちを見に行ってきました。

御台所清水

六郷には約80ほどの清水があるようですが、
午後から美郷に向かった私はさすがに、10個くらいしか見れませんでした^^;

ですが、電動自転車の貸し出しも行っているようで、それなら結構回れそうですね。
次回はそれでいきたいと思います!

ハタチや清水

こちらの清水は、酒屋さんの敷地の中にありました!
「ご自由にご覧ください」の文字があり、入ってみるとこんな感じ。
他ではなかなか見られない光景です。
六郷のお水は本当に透明です。


もう秋ですね。
昨日もトンボがたくさん飛んでいました。
赤とんぼ、きれいだなぁ。

子どもの頃、「赤とんぼを捕まえると罰が当たる」と言われていましたが、
気にせずたくさん捕まえたことを思い出します。
昨日久々にトンボ(赤トンボではないです)を捕まえてみましたが、
懐かしい気持ちに浸れました。

・・・でも、トンボがかわいそうですね^^;
子どもの頃の遊びって時たま残酷です(--;)

2011年9月9日金曜日

皆様おはようございます!
先日、角館のお祭りにお邪魔してきました。

お祭りの期間は9月7日~9日の3日間あるのですが
私は4日に準備風景と、8日の観光やまぶつけを見てきました。
角館のお祭りでは、6~7トンにもなる山車を猛スピードでぶつけ合わせると聞いていたので、どんなに迫力があるだろう!と楽しみにしていました。

4日の準備では、なんと武家屋敷の庭園で人形の着付けや山車の飾りつけをされていました。
当日の朝は、台風の影響か、曇り空で途中少し雨も降りましたが、北部丁の皆さんがすごい勢いで仕上げていきました。

すると次第に天気も味方につき、陽が沈み始める頃には、ほとんど完成していました。

武家屋敷の傍といいますか、寧ろその中で準備作業を行っていたので、観光に訪れたお客さん達が興味津々といった様子で武家屋敷の通りから次々と入ってきては写真を撮って行きました。
嬉しく思いながら見ていると、たまに北部丁の方々が質問を受けています。驚いたのは、皆さん随分と慣れた様子で、さらさらと説明されているんですね!
戸惑ったり、考え込む様子もなく、お客さんを自分の隣に据えて、とても自然に話していらっしゃいました。

これには「なるほど、さすが角館だなぁ」と思わされました。
きっと、普段から観光のお客さんを相手にすることが多いのですね。それに、そのお客さんに対して自然に接する事で相手に緊張を与えない。もしくは、緊張していたお客さんを解してくれる。
そんな、「みちのくの小京都」にふさわしい柔らかな物腰に、静かに圧倒されてしまいました。


8日、祭り本番2日目では、もう駅に着いたその瞬間からお囃子の音が聴こえてきました。
この日の日中は佐竹北家への上覧と、観光用のやまぶつけ、やまの町内お披露目がメインとなっていました。

佐竹北家へ向かうやまを「上りやま」
上覧を終えて町内へと帰るやまを「下りやま」と言い、それぞれお囃子も異なっています。この帰ろうとする「下りやま」が他町内の「上りやま」と相対すると、そこからが面白く、どちらが避けるかの交渉が始まります。

お互い地面に座り込み、顔を近づけて交渉します。
ここでは、目的地に向かう「上りやま」が必ず優先されるのですが、これが「下りやま」同士での場合では、数時間にも及ぶやまのぶっつけあいに至ります。

この日に行われた観光用のやまぶつけでも、ものすごい迫力でした。

交渉決裂の合図である笛が鳴り、それと同時にどちらのやまも凄い速さで走り出します。
互いのやまがぶつかった瞬間に木の粉がバァッと一面に舞い、視界がうっすらと黄色くなります。
その粉が落ち着く暇もなく、どちらのやまも威勢のいい掛け声と共に全力でやまをぶつけ合い、それが何度も繰り返されます。
引いてはぶつけ、引いてはぶつけの繰り返しです。

6~7トンもの重さのやまがぶつかりあうものですから、それまで身を乗り出して見ていたお客さん達も、ついつい一歩、身を引いてしまうのでした。
各町内の半纏を身に纏った、地元の子供達の反応もそれぞれでした。
まだ幼稚園くらいの子供達は皆圧倒され、小中学生の男の子たちは好奇の眼差しで見ていました。

しかしそれでも、9日に行われるやまぶつけは別格だと聞きました。
祭りの準備中は時がゆっくり流れているように感じるほど和やかだった町が、祭りになるとこんなに賑やかになるのかと驚きです。当日は北部丁内の方にお話を伺って、祭りの歴史や伝統、楽しみ方についてお教えいただくなど、大変良くしていただきました。

2011年8月31日水曜日

こんにちは、石川です。

この前の土曜日、ご存知「大曲全国花火競技大会」が行われました!

私は夕方まで秋田市内で所用がありましたので、夕方急いで大曲へ向かいました。
時間が時間だったので、いい位置で見ることができず、某スーパーの駐車場で見ることに。
(その後、もう少し見やすい土手に移動)


人もいっぱい、会場まで遠い!
おかげさまで花火らしい写真は撮れませんでした・・・。

でもなんだか幻想的。
これもこれで新しい花火style?(笑)




来年は、桟敷席取って、ゆったり見たいと思います!



しかし、大曲の花火は迫力がありますね!
日本3大に含まれるだけあります!

花火を盛り上げるために勢を尽くしてくださった方々、おつかれさまでした!
屋台なども楽しませていただきました^−^



・・・やっぱり、大曲の花火Tシャツ買えばよかったかな・・・。

2011年8月30日火曜日

8月30日 ブログ

市川団之丞という人

後三年の役の際に、合戦の柵城として築かれたのは数々あれど、現代ではそのほとんどは残っておらず、右写真の蔵光院(横手市沼館)のあたりに「沼の柵」と呼ばれた柵城があったと記録に残っている。清原家衡 、武衡 たちが籠っては避難し、最後には捕らわれ処刑された血なまぐさい合戦の末に、世界遺産となった平泉が建立、という人間の歴史、東北の歴史です。
さて、その沼の柵跡地から徒歩で10分~15分の距離にあるお寺、蔵伝寺には、「岡本新内創始者 市川団之丞之墓」と書かれたお墓があります。この方は、かの江戸歌舞伎の大看板、七代目市川團十郎のお弟子さんだったそうで、その人の墓が何故秋田の沼館にあるの?ということですが、どうやら江戸時代に團十郎一門といえば泣く子も黙る一座であって、その座内では様々な妬みやら何やらいろいろあったようで、この団之丞さんも耐えきれずに一座を後にした?みたいな記録が残されているようです。やがて放浪の末、この沼館、雄物川町にたどりつき、かつて江戸で教わった「岡本新内節」をこの地に広めたようですね。つまり、地元にとっては歌舞伎の役者よりも、新内節の先生として名が通っているようです。

いまも歌舞伎界に残っている「清元節」「常磐津節」などと並び「富元」とか多くの浄瑠璃が登場しては消えていった江戸歌舞伎界は、とにかく見物衆の拍手に応えるべく様々なアイデアを絞って、お客人を喜ばせ発展していったのです。つまらないものはどんどん上演されなくなり、廃れていったのですね。
さて、この「岡本新内」は明治から大正期にかけて県南部で大流行したそうですが、その後衰退したところを「雄物川町岡本新内伝承会」というものを組織し、いまも伝えられています。You
Tubeにもアップされているのでご覧になっていただければわかると思いますが、地方の盆踊りとは全然違う!明らかに歌舞伎舞踊の流れを汲んでいます。「風俗舞踊」と呼び称されたりしますが、まさにその系統です。こんな立派なものが流行り廃りで秋田県内から消滅してしまうのはもったいない!よくぞ残してくれました、秋田県内の関係者に心よりお礼を申し上げます。




市川團十郎、七代目はその遊興の派手さゆえ江戸を追放されたりもした名優だったそうですが、やることもなかなか巧みで、まず「歌舞伎十八番」を制定しました。これは今でいう「特許」?「勧進帳」を出したかったら家にご挨拶に来なさいな、てことですかね?小田原の薬屋さんに頼まれて「外郎売」という芝居を考案したのは二代目團十郎。これはある意味、CMタレント第一号?市川家所縁の演目「助六」は、江戸の大歓楽街・吉原がスポンサーになってくれたお芝居。こう並べてみると、團十郎は代々アイデアマンだったのかも知れません。

さて、横手と團十郎、こうして並べてみると、その繋がりはあながち冗談でも無くなってくるんじゃないでしょうか?既に上演するお芝居も「歌舞伎十八番の内 暫」が行けそうですね?後三年の役関係ではもう一つ、今も歌舞伎や文楽人形浄瑠璃で上演される名作「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」というのもあります。これはむしろ前九年の役に関係するのですが、例えば、平泉で「安達原三段目(通称:アダサン)」を團十郎さんが上演し、その後、横手へ移動して「暫」鎌倉権五郎景政を豪快に演じる!夢で終わらせたくないなあ・・・。


ちなみに十二代目團十郎さんは白血病を患って大変な思いをされましたが、妹さんの血を輸血して血液型が変わったそうですが、「私自身は性格は前と変わっておりません、つまり血液型による占いってのは・・・どうなんでしょうか?」と笑っておいでです。大きい方だ!

こんにちは、石川です。

今日は、以前遊びにいった、田沢湖の「山のはちみつ屋」というところを紹介いたします。


名前の通り、はちみつ屋さんです。
世界各国、様々な種類のはちみつが置いてあります。
アカシア、ひまわり等・・・。

はちみつフルーツ酢やプロポリス、はちみつジャムなども置いてあり、
それぞれ試食や試飲ができます!

はちみつを使ったお菓子などもあり、その場で食べられるよう、
カフェも設置してあります(100円でドリンクバーも飲めます!)。


お店のすぐそばにある2階建てバスは休憩所になっていました。


レトロな雰囲気です。


中はこんな感じです。
2階から外を眺め、はちみつ入りの紅茶を飲む・・・。
すてきな休日ですね。

2011年8月24日水曜日

あきた歴史ロマン その2 後三年の役
県南の美郷町から仙南へ国道13号線を走ると、道の駅 雁の里が右手に見えてきますが、このあたりはかつての「後三年の役(えき)」の古戦場跡。いまは広大な田園地帯ですが、かつここで血なまぐさい合戦が繰り広げられたのです。かつて、と言っても1000年も前の話ですが。その割に「落ち武者」「亡者」の心霊スポットにはなっていませんが、平成なってから「平安の風わたる公園」として整備され、休日などは親子連れやカップルが訪れていますよ。ここにはブロンズで作られた四人の武将が、東北地方を描いた地図を囲むように立っています。藤原清衡、清原家衡、清原武衡、源義家の四人。前九年(1051年~1062年)の役で阿部の貞任、宗任を追いやった連合軍が、その後仲間割れをしてし まった闘いが後三年(1083年~1087年)。この戦いに勝利した清衡はやがて平泉へ移り、広大な奥羽を取り仕切る。義家は美郷町の納豆を手に太平洋側を南下し、水戸に納豆を置き忘れてしまった。そう、納豆は美郷町が発祥の地なんです。


さて、勝利者側の源義家の部下に、鎌倉権五郎景政
という若干16歳の血気盛んな若者がおりました。彼は
義家の元で大活躍をし、清原家衡、清原武衡軍を金沢
柵に追い詰めた。いまの八幡神社があるところですね、
高い山、横手まで見渡せるぐらいの山です。景政は
負けた家衡、武衡勢の、その屍を手厚く葬ってあげ、そこに
木を植えたそうで、それが金沢公園にある「景政巧妙塚」
なんです。



で、いつしか、権五郎景政の名前は様々に伝えられ、合戦からおよそ600年を経て、江戸歌舞伎の中でヒーローとして誕生する。それが「歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)」。悪いやつらが善人を懲らしめている鎌倉鶴岡八幡宮に、「しばら~く!」と花道を登場する正義の味方、物凄い長い大太刀で悪人たちの首をバッサバッサと切り落とす!超荒唐無稽な物語。「暫」は芝居というよりも祝典劇のようなもので歌舞伎の大顔合わせの時に出される演目、筋を追ったら「なんじゃ?この話」と笑ってしまうものだけど、とにかく演じる俳優は舞台の上で大きく大きく、権五郎を演じます。
話は歌舞伎にそれましたが、歌舞伎十八番といえば市川團十郎、その縁の江戸桜ならぬ暫の主人公が横手にいた!これは成田屋さんを横手にお呼びして、見ていただいて、そして歌舞伎十八番を演じてもらわねばならないのでは?
そしてなんと、横手には團十郎さんに縁の深い人物がもう一人いたのですよ・・・・

★後三年の役について


2011年8月17日水曜日

大仏様は見ている

石川です。
本日より、僭越ながら、私石川がメインでブログを書かせていただきます。
宜しくお願いいたします。



お盆休みに、家族と長谷寺に行って参りました。
赤田の大仏様!
この大仏様は、座った状態ではなく、立った姿で待ち構えておりました!


大きいです・・・!
圧巻です!



大仏様と目が合ってしまいました!
余裕のある物腰、目つき。
何でもお見通し!!




大仏様が安置されている部屋は、辺り一面引き戸で張り巡らされ、
その一つ一つにきれいな絵が描かれていました。
それぞれに違う絵をしており、薄暗い部屋できらびやかに映っておりました。




この長谷寺、神仏混淆のお寺で、お賽銭もあれば、お地蔵様もおり、
はたまた大仏様や木魚もおいてありで・・・不思議な空間でした。
階段の周りは杉に囲まれ、まるで異世界に入り込んだようでした。
由利本荘市の赤田にありますので、一度、行ってみてはいかがでしょうか?

2011年8月13日土曜日

榎田竜路×馬場克樹 Earth Voices Acoustic Live in Akita

お久しぶりです。石川です。
10日の夜、わが社の代表榎田竜路・秋田営業所所長馬場克樹による
アコースティックライブが行われました。



所長の笑顔が素敵です。
笑顔で、さわやかに歌い上げていました。



野獣の雄たけび!(笑)
アコースティックライブですが、最初からハードに攻めていきました!
しかし、そこには愛があるのです…!



来場してくださった皆様、ありがとうございました!
また次回もぜひいらしてください^-^
今回これなかった方も、次回をお楽しみに!

2011年8月11日木曜日

8月11日(木)blog

 
akita 歴史ロマン その壱  
            払田の柵  

大仙市にある国指定史跡「払田の柵(ほったのさく)」跡。今でこそ、貴重な史跡として県内外の研究者の方々がいろいろ調査されていますが、僕らが子供のころは、ここはピクニックする場所でした。もっと生々しく言うと「鍋っこ遠足」の広場でした。実は昭和6年にすでに国指定史跡となっているので、あれ?やばかったんじゃ・・・?芋の子汁とかこぼしまくりでしたが・・・。
ここは西暦801年ころ、平安時代に作られたそうで、大仙市商工会さんのブログを引用させていただくと、「強固な作りの城に対し、簡易な作りだったのが柵」だそうです。大仙市のブログ、わかりやすくていいです、難しい言葉が並んでなくって。いかにも庶民の目線で。東北最大級の古代城柵と呼ばれたこの払田の柵跡は、出羽の国の政治や軍事を司った砦、要塞。その広さは東京ドーム8個分の面積だそうです。ところでなぜ日本で何か広大さを示す時、必ず東京ドーム何個分て引用されるの?結局アバウトにしかわからないのに・・・。ちなみに「柵」という地名がつくと、だいたい要塞や陣屋があった場所ってなりますね。横手には「沼の柵」跡があり、ここも後三年の役(という合戦)に関係しています。話はあちゃこちゃ飛びますが、この広大な敷地にかつてはとても長い柵が張り巡らされていたのでしょう。しかしそれだけの規模を誇りながら、文献に記載が無いらしいのです。出羽の国の人々よ、何をしていたのだ?なんで何も書き残さないの?というよりも紛失したんでしょうね。だって秋田の人たちは結構書き残すのが大好きみたいです、古文書いっぱい残っているし(ほとんどが借金の帳簿ですけどね)。つまりここも「謎」の場所なのです。謎にはロマンが溢れています。「謎を謎として、ロマンとして」高々と歌いあげればいいのだと思います、秋田県は。はっきりいろいろわかっちゃって、却ってつまんなくなった、って例もありますからね、「実は柵ではなく、ただの牧場だったことが判明した」なんてことになったらねえ。

 
最近の調査によると、このあたりは日本でももっとも早く武家社会が成立していたのでは?云々。                  
それはそれで凄い話ですね、ちょっと誇りたくなりませんか?だって武家社会ですよ、お侍さんがいたってことですよ、日本でももっとも早い時期に、この秋田に。御百姓さんしかいないと思われていた時代に。これは嬉しいかな?いや、侍って結構エラそうにして平気で庶民を斬ったりするんでしょ?やっぱり嫌ですかね、僕は御百姓さんに一票投じますかね。うちの母も沼の柵のそばの農家の娘だし、自分にもそのDNAは脈々と受け継がれてるし。左の写真は柵のすぐそばにある通称「曲がり家」。トラディショナルな東北農家の見本のような家です。農耕用の家畜(馬や牛)と人間が共存できる仕組みになっています。
「曲がり家」が登場する小説といえば柳田國男の「遠野物語」が有名ですが、秋田にもあの手の話はいっぱいあったはずなのに、なぜか民話としてなかなか残っていないんでしょうか?いや、あるのかも知れませんが、さっぱり聞こえてこないんですね。そこらへんも岩手の方々との違いでしょうか?(宣伝というか、物語化して広め、町興しへつなげる行動力?)この払田の柵は秋田が誇る史跡なのです。もっともっと日本に対し、世界に対し、誇って行きましょう。それは、秋田の古のロマンであり、秋田県がいかに古くからこの地球上に存在していたか?という証でもありますからね。「秋田ロマン紀行 温泉付き」で、世界の皆様をお持てなしです。左の写真、「柵の湯」でゆったりとくつろいで、歴史ロマンに思いをはせてみてはいかがでしょうか?


PS:興味をお持ちの方はこちらへ・・・

払田柵総合案内所         電話0187-69-2397

秋田県埋蔵文化財センター    電話0187-69-3331




2011年8月5日金曜日

8月5日(金)ブログ

やっぱり竿燈WEEKですね


今週はなんといっても秋田市は竿燈です、本日は三日目を迎えました。わが事務所は竿燈大通りと称される通りにほど近く、歩いてぶらぶら行けば目の前に巨大な「光の稲穂」がゆら~ゆら~と現れます。そうそう、本日の午後には市内有志の竿燈が仲小路にお目見え。狭い通りに巨大な稲穂、まるでゴジラか?ジュラシックパークのTレックスがまさに出現したかのようでした。三日間天気もよく、最終日の明日までなんとかこのまま気持ちよく、熱く暑く秋田市の夏本番を彩ってくれ!わが社がご贔屓にしているチームは妙技会予選で決勝進出!明日6日の朝が決勝!嬉しくってぜひ応援に行って「どっこいしょ~どっこいしょ!」の掛け声をかけねば!
 さてこの仲小路という通りは秋田駅から、現在建築中の秋田新美術館に向かってまっすぐ伸びている通り。車通りは比較的少なく、むしろ歩行者の方がのんびり歩ける、そんな通りです。この夏、竿燈の期間だけでしょうか?仲小路の商店会の有志の方々が屋台を出し、かき氷や生ビール、その他夏に欠かせない食のアイテムを多数用意し、この通りを抜けて竿燈大通りへ向かう浴衣姿のアベックに提供しております。それも明日までですね?それがちょい残念ですが。年中この通りがにぎわっていると嬉しいなあ。祭りの期間だけじゃなくてね。写真左は竿燈祭りの、即席案内所。その後ろにはテーブルとチェアーが用意されビーチパラソル低くして隠れられる感じ。


・・・静かな夏の昼下がりに、歩行者の散歩道に、こういった休憩できる椅子があり飲み物、食べ物が置けるテーブルがあり、これがずっと、駅のアーケードから新美術館まで続いていたら・・・ここはいきなり、秋田市内屈指のデートスポットになり、美術館帰りの御客さんもこの椅子に腰かけて、今見てきたばかりのTuguji Fujitaについて感想を語り合う。一瞬、竿燈祭りのおかげで、未来のこの「いざなう路」の姿が見えたような気がして嬉しかった。木の緑も爽やかな印象を残します。
簡単には行かないことは十分承知していますが、何年もかけていいデザインの「いざなう路」にして行ったら素敵だろうと思います。これは秋田市にも大仙市にも、駅前が寂れてしまっている県内すべての地区に言えることですよね。じっくりとみんなで意見を出して考えて行きましょう。だって自分たちの街ですから。




2011年8月4日木曜日

東北三大祭り”竿燈”始まる

みなさま、こんにちは。正木です。
いよいよ今年も始まりました、竿燈まつり
五穀豊穣を祈願するお祭りとして、江戸時代から続いています。

私は竿燈の囃子方を20年担当しております。
竿燈まつりが大好きで、毎年欠かさず出場しておりましたが、
今年は観光PRのために撮影に徹することに!

東日本大震災の影響で、観光客は激減しないだろうかと
心配をしておりましたが。。。
この通り、桟敷席には沢山のお客様がいらっしゃいました。


そして、横断幕や屋台、竿燈の提燈に
「東北は負けない!!まつりの力で心はひとつ!!」というような
メッセージが見受けられました。


なんと、重さが50キロもある竿燈を平手や額、肩、腰で支え、
場内には「どっこいしょー、どっこいしょー」の掛け声が響き渡ります。



風が強いと竿が倒れたり、折れるハプニングもあります。
そのときは細い竹で補強して、演技を再開します。


夜空に稲穂が舞う様は、趣き深いものがあります。

いつもはお囃子の演技に集中していて、
竿燈の演技をゆっくり見る機会がありませんでしたが、
活気がありつつも幻想的な要素もあわせ持つ
お祭りなんだなと気づきました。

お祭りに参加したくてウズウズしております^^






2011年8月3日水曜日

あらためて、秋田を振り返る

お久しぶりです、石川です。
わが社の本部である鎌倉に、10日ほど出張をしてきました。
おととい秋田に帰ってきたわけですが、
今まで、秋田を離れた期間は1泊旅行とかそのくらいで、
ここまで秋田を離れることはありませんでした。

帰って来て、改めて秋田を感じました。
風が気持ちいい!
まさに「Life in the wind」です!
うれしくなり、日ごろ普通に眺めていた景色を写真に収めました!

 自宅から見える田園風景

田んぼの緑がきれいな季節になってきましたね!
この眺めは小さいころからのお気に入りです。



セリオン横の船着き場

私はセリオンから眺める海が好きで、ちょくちょくボーッとしに行っています。
この船は「しんざん」と書いてあるので、男鹿の船かな?




離れてわかる秋田の良さ、実感させていただきました!

2011年8月1日月曜日

Earth Voices Acoustic Live in Akita

みなさま、こんにちは。正木です。

今日はLIVEのお知らせをいたします。


今回は世界を駆け巡るヴォーカリスト達の夢の競演!

榎田路×場克樹
Earth Voices Acoustic Live in Akita
を開催します。


日時
8/10(水)19:30開演 19:00開場

会場
Cafe&Bar RedHouse
秋田市中通2-1-22 フラワーおの2F

1,500円+ワンドリンクオーダー

お問合せ先
Earth Voice Project Akita Office
018-807-4096



Earth Voice Projectの榎田代表は
真荷舟というバンドのヴォーカリストであり、
ケニアや中国、台湾など世界を駆け巡り、LIVEを行っています。
秋田でも2度LIVEをして頂きました。

ギターとドラムの2ピースバンドですが、
ヴォーカルは魂の叫び、ドラムは千手観音のような手さばきで
とても迫力があり圧倒されました!



そして、秋田営業所の馬場所長は台湾にて
”爸爸辦桌(BaBaBand)”というバンドを結成。
ヴォーカリストを務めています。
台湾を拠点に音楽活動をしていますが、日本でもLIVEを開催しています。
心の温まるヴォーカルに気持ちがとてもホッコリします。





今回はグローカル(グローバル+ローカル)な活動を展開している
お二人の競演ということで、
私自身とても楽しみにしております。(何気に”竜馬LIVE”です。)


暑~い夏の夜に心地の良い音楽を聴き、
みなさん、心も体もクールダウンしませんか?^^

2011年7月29日金曜日

7月末は夏祭りイベントがもりだくさん!

皆様こんちは。EVP秋田営業所の佐藤です。

世間の子供たちは、もう夏休みに突入しましたね。
近所の子は、近くの公園で毎朝ラジオ体操をしているそうです。
私もハンコを貰いに行きたいのですが、如何せん眠たいのと
不審者扱いされたら!?という恐怖で実現には至っていません。

さて、子供たちが夏休みに入った事もあってか
各市町村では続々と夏祭りイベントが開催されています。


最近ですね、ご当地グルメに関してのお話をよく耳にしていまして
ご当地グルメ(特に大曲市出身の先輩オススメの納豆汁)への興味が沸々と湧いております。
そんなご当地グルメが今週末の30,31日に由利本荘市の本荘公園に終結します!
秋田県内外から集まるご当地グルメを食べて厳しい夏を乗り越えましょう。
個人的には「美郷まんま」も気になります。ぶっかけ飯のような形でしょうか・・


ここ本荘では、29日(金)~31日(日)までの三日間、イベント尽くしとなっています。
そして更に、30,31日のイベントには由利本荘市出身の「加藤夏希」さんが参加されます!
30日の夜には花火大会もあり、朝から夜まで丸一日楽しめる内容になっているようです。


また、30日には「男鹿ナマハゲロックフェスティバル vol.2」も開催されます。
男鹿市船川港を舞台に、著名な豪華アーティストが12組も大集合します!
誰もが知っている、そんなアーティストが間近で見られるチャンスです。
聴いて、踊って、食べて飲んで・・・
港に作られた特設会場で、これもまた丸一日楽しめる内容です。
当営業所からは1名が参加予定で(完全にプライベートですが)、土産話に期待しています。

最後にひとつ
私的オススメとして「きさかた『港』海の幸まつり」を挙げさせて下さい。
これは、30日に象潟道の駅「ねむの丘」前で開催されるまつりで
象潟で獲れる「天然カキ」をメインに、地元漁港で水揚げされた魚介類を贅沢に
生でも、調理しても、味わえる場となっております。
実は象潟の天然カキは、知る人ぞ知る夏の味覚と言われています。
首都圏からいらっしゃるお客さんも多く、
夏の象潟に来ていただいたら是非とも食して頂きたい旬の食材です。

また、会場の「ねむの丘」4階には日本海が見渡せる展望温泉があり
食後はゆったりと温泉に浸かるのも良いかもしれません。


なんと、どこもかしこもイベントだらけな週末で
行きたいところを絞るほうが難しいです。
秋田の暑くて涼しい夏はまだまだ続き、
お祭りやイベントもまだまだ始まったばかりです。
夏の楽しみは尽きません。

2011年7月28日木曜日

7月28日(木)ブログ

秋田美人がいま、21世紀に問うものとは?

「秋田美人」(昭和42年発行)
 秋田美人にまつわる様々なエピソード、伝説、迷信、起源、色白な肌の秘密・・・等は、ネット上で今も物議を醸しているところです。その昔、佐竹の殿様が茨城県の水戸から左遷させられた際に、悔し紛れに水戸の美女を全部連れて行っちゃった、だから水戸は今ではあんな・・・(それじゃ水戸の女性に失礼でしょう)とか、白系ロシアの血が混じっているから色白で、とか、とにかく「謎」に包まれています。が、44年も前に発行された「秋田美人」(写真左)は、いま読んでも、その内容がいまネットでささやかれていることと、ほぼ一緒。つまり昔っから現代にいたるまで秋田美人は「謎」に包まれっぱなしってことです。どうして「秋田美人」なのか?なぜ東北六県の中で、秋田なのか?なぜ山形や青森じゃないの?うちの母親が昭和30年代に土崎で働いていたころ、京都弁を話すお婆ちゃんが近所に住んでいたそうです。北前船によって京文化が秋田に届けられているから、そんな御公家言葉のおばあさまが秋田に住んでいたっておかしくはないです。大曲などは商人の町で栄え、京都の女性を呼んで大宴会を催していたらしいです。そういった合コン文化が、秋田は盛んだった?それが青森、山形との違いだったの?

名著「秋田美人の謎」(昭和59年発行)
上記の「秋田美人」の巻末に、当時の秋田県民会館長、石井彪氏がこう記しています。「色白とか肌がいいというのは美人の一要素だが内容が空疎では人形と同じである」。はい、出ました。私たちは「秋田美女」とは呼んで来なかったですよね。あくまで「美人」です。アースボイスプロジェクト代表社員、榎田竜路氏の言葉を引用すれば、

“美女”は退化する “美人”は進化する

美女の「美」は若さやメイクなどが手伝ってのもので、美人の「美」はもっと内包的な、内なるもの。心持ひとつでいつまでも輝ける美ってこと、だから進化するのですね。

さて、謎多き秋田美人、新野直吉先生の上記の本でも「秋田美人は、日本海を夢の架け橋として結ばれた世界一の美人種との混血で生まれたのです」と紹介されていますが(この場合の“世界一の美人種”というのはコーカサス人種ですが)“日本海を夢の架け橋として”多くの文化が北前船やら外国の船やらで秋田に来ることが多かったわけです。そしてその交流の中から秋田美人は生まれた・・・コーカサス人種の美しさだけではなく、京都の文化や世界中の様々なものが合わさって、秋田美人は誕生しているとも考えられるわけです。
「なんだ?秋田って意外に国際都市だったんでねえが?」はい、出ました。その通り、秋田はかつては表日本だったんです。その秋田から、秋田美人が先頭に立って、いままた世界に向けて飛び出してゆくのが、この21世紀なのではなかろうか?

と、強引にまとめて、誰か一緒に「秋田美人21世紀VERSION」を作る人いませんか?44年前の本にリスペクトしながら、現代の視点で現代の方法で「秋田美人」を発信する。そして本は予約注文制で、エンドユーザーに必ず「秋田美人」本人が御届けにあがります!
「秋田美人が届けるって言ってたのに、届けに来たのは美人じゃなかった!」というクレームが今から予測できますが、対応マニュアルはこちら→「秋田美女が届けるって、誰が言いましたか?」


PS:新野先生の「秋田美人の謎」は現在文庫本で入手可能。

2011年7月27日水曜日

日本最大級の吹き抜け木造架構「関善」

みなさま、こんにちは。正木です。
先日、鹿角市の花輪に行ってきました。
色々なスポットを回りましたが、その中でも心を打たれたのが
 関 善 
ここまで気持ちが惹かれる建物に出会ったのは正直初めてです。



かつての造り酒屋「旧関善酒店」。
安政3年(1856年)に創業され、花輪の町を取り仕切る財産家「大っき方」でした。
明治38年5月、日露戦争日本海海戦の日の
花輪大火によって類焼し、同年に再建されました。

木造一部3階建て、間口27m、奥行き20mの3層からなる桁組みで、
吹き抜きの大屋根は10.5mに達します。
とにかく、この吹き抜きが見事で。。。


この桁組みは釘を一本も使っていないそうです。
昔の職人さんの技ですね。
とても頑丈で、東日本大震災の大きな揺れに
びくともしなかったそうです!

実はこの関善、県道拡張などの事情から曳家による保存が図られることになり、
平成16年4月から工事が始まり、4ヶ月後の8月に完了したそうです。
そして、平成18年8月3日に有形文化財として登録されました。


関善の入り口に近づくと、ネコちゃんがお出迎えをしてくれました!
とても人懐っこいネコちゃんで、広い関善の中をずーっと案内をしてくれました。
夢中になって写真を撮っていると「早くこいっ!」と
言わんばかりの表情で、こちらに近づいてきます。




展示品の数々


綺麗なランプ


戦争時に使われていたもの


昔のおもちゃ


蔵はライブ会場になっていました。

ここで、真荷舟ライブができたら最高だなと思いました。

関善に一歩入ると、明治時代にタイムスリップしたような感覚になります。
昔ながらのものを大切にし、後世に伝える心が伝わってくるようでした。